将棋は戦争よりも貿易に似ていると思いませんか。
なぜなら人間は「死の危険」があるかどうかによって意思決定のプロセスが全く異なるからです。
プロの棋士がプロの軍人のように戦争での意思決定力にも優れると言うことはないのではないでしょうか。
御回答よろしくお願いします。
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思いつきですが、日本の将棋って取った駒が何回でも使えますよね。だから駒の交換という。
飛車一枚と金・銀の二枚とならどっちが得かなんていう計算は物物交換みたいですね。
他の国の将棋は取られた駒が二度と使えないそうですから、ぶん取り合戦の単なる戦争のイメージでしょうか。
だから、日本将棋の方がはるかに奥が深い。
交換の損得勘定をするなんてところは貿易みたいだし、序盤の作戦は外交交渉ですかね。
でも、終盤は一手違いの攻め合いの戦争。
とはいっても棋士の命までかかっているわけではないので、やっぱり頭脳ゲームでしょうかね。
将棋や囲碁の達人が戦争の意思決定に優れるなどとはといてい考えられません。
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将棋が戦争に似ているということと、将棋が貿易に似ているということは互いに排他的な関係ではありません。
将棋と戦争を知っている人は将棋と戦争の共通部分を見出すこともできるでしょうし、
将棋と貿易を知っている人は将棋と貿易の共通部分を見出すこともできるでしょうが、
戦争と貿易を知っている人は戦争と貿易の共通部分を見出すこともできることでしょう。
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貿易って要するに国同士の商取引でしょう。
どう考えても将棋とは似てないです。
てゆーか質問の「なぜなら」の後の内容が質問本題と全く関係ないこといってるような気がしますが。
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貿易(商売)も命がけだとは思いますが、まあそれはさておき
戦略をたてるのと、流れを予期する能力(情報収集能力等も含む)は、受動側と能動側というはっきりした違いがあるので、貿易と将棋が似ているとは思いません。
逆に、どこが貿易に似ているのか聞きたいです。
ブーム(流れ)を作る側の人間のほうが、むしろ貿易をする人間よりは、将棋に近いと思います。
補足の文章も、将棋の思考スタイルと貿易のそれが関係していることを示すものではないと思いますけど・・・
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