日本将棋連盟発行の月間誌「将棋世界」の
2011年12月号の中で、
鈴木八段と永瀬四段の対談が掲載されています。
その中で、鈴木八段の言として、
「お酒を飲めるようにならないと居飛車は無理。」
と書いてあるのですが、どういう意味なのでしょうか?
もちろん文面どおりではなく、
何かの例え(比喩)のようなものだと思いますが・・
ちなみにその直後に、同じく鈴木八段が、
「居飛車を指すのは人生観が出ますから。」
とおっしゃっています。
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確かに、解りにくい発言ですね。
30~40年前は、「若いときに居飛車、年を取ったら振り飛車」のパターンが多かった。
振り飛車の序盤は「楽」というからですが、その頃の常識とは正反対な感じを受けます。
永瀬四段の
「自分も居飛車を指したいけど、それができるかどうか」
の発言を受け、
「お酒を飲めるようにならないと居飛車は無理。永瀬君は根っからの振り飛車党だし、居飛車を指すのは人生観が出ますから。」
との言ですね。
>お酒を飲めるようにならないと居飛車は無理。
>居飛車を指すのは人生観が出ますから。
永瀬四段、19歳。未だ飲酒不可の年齢。
未だ棋士になって1年そこそこ。修行時代も含めても、振り飛車を指し始めて10年そこそこ。
「居飛車に転向する≒将棋観を変える≒人生観を変える」必要があるのか?
将棋観を変えなければいけないほど、振り飛車を極めた、行き詰ったのか?
まだ突き詰める余地は残っているのでは?
まだまだ自身の将棋観を造っていく時期じゃないの?早くない?
こんな風な「叱咤激励」と受け止めました、
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その対談は読んでいませんが、振り飛車党の先輩として、振り飛車党が居飛車を指すのは、長い経験を積んでない人、つまりお酒を飲めない子供には無理、と言ったということなのでは。
居飛車に手を染めるようになるには、お酒を飲まざるをえないほど悩む必要がある、という意味かもしれませんけど。
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