2012年2月23日木曜日

日本将棋連盟発行の月間誌「将棋世界」の 2011年12月号の中で、 鈴木八段と永瀬四...

日本将棋連盟発行の月間誌「将棋世界」の

2011年12月号の中で、

鈴木八段と永瀬四段の対談が掲載されています。



その中で、鈴木八段の言として、

「お酒を飲めるようにならないと居飛車は無理。」

と書いてあるのですが、どういう意味なのでしょうか?



もちろん文面どおりではなく、

何かの例え(比喩)のようなものだと思いますが・・



ちなみにその直後に、同じく鈴木八段が、

「居飛車を指すのは人生観が出ますから。」

とおっしゃっています。


|||



確かに、解りにくい発言ですね。



30~40年前は、「若いときに居飛車、年を取ったら振り飛車」のパターンが多かった。

振り飛車の序盤は「楽」というからですが、その頃の常識とは正反対な感じを受けます。



永瀬四段の

「自分も居飛車を指したいけど、それができるかどうか」

の発言を受け、

「お酒を飲めるようにならないと居飛車は無理。永瀬君は根っからの振り飛車党だし、居飛車を指すのは人生観が出ますから。」

との言ですね。



>お酒を飲めるようにならないと居飛車は無理。

>居飛車を指すのは人生観が出ますから。

永瀬四段、19歳。未だ飲酒不可の年齢。

未だ棋士になって1年そこそこ。修行時代も含めても、振り飛車を指し始めて10年そこそこ。

「居飛車に転向する≒将棋観を変える≒人生観を変える」必要があるのか?

将棋観を変えなければいけないほど、振り飛車を極めた、行き詰ったのか?

まだ突き詰める余地は残っているのでは?

まだまだ自身の将棋観を造っていく時期じゃないの?早くない?



こんな風な「叱咤激励」と受け止めました、



|||



その対談は読んでいませんが、振り飛車党の先輩として、振り飛車党が居飛車を指すのは、長い経験を積んでない人、つまりお酒を飲めない子供には無理、と言ったということなのでは。

居飛車に手を染めるようになるには、お酒を飲まざるをえないほど悩む必要がある、という意味かもしれませんけど。

0 件のコメント:

コメントを投稿