日本将棋連盟のHPのトップにSince 1997.01.17と書いてありますが、連盟を知らない人が見ると連盟が10年ちょっとの歴史しかないと勘違いしませんか。
将棋連盟のHPがSince 1997.01.17という意味なんでしょうが、それならわかるようにそう書かないと誤解されかねないと思うのですが、どうてでしょうか。
HPがいつ始まったかなんて、新しい歴史をいちいちタイトルの横で誇っても意味ないとおもいますけどね。
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確かにHPがいつ始まったかはどうでもいい話ですね。
1924年9月8日に東京の棋士が団結し、
東京将棋連盟」を結成。名誉会長に関根金次郎、
会長に土居市太郎が就任。
とあり、ここから創立75周年や81周年を数えていますが
関根金次郎13世名人が即位したのは1921年(大正10年)5月8日です。
また退位したのは1935年(昭和10年)3月26日です。
名人を戴いただけの団体というのはあやまりで
新聞各社との契約で
いろいろな派閥が離合集散しています。
近いのはプロレスの団体みたいなものです。
3派合同の時期を最初にしているということで
別に、関根さんがトップだったわけではないのです。
東京将棋倶楽部 関根金次郎八段
将棋同盟者 土居市太郎八段
将棋研究会 大崎熊雄 八段
将棋同志会 井上義雄 八段
このうち前3棋士が
各派の領袖として
新聞社と契約していました。
そして、棋士はいずれかの派閥に属し
その内部で行われた対局(主に勝ち抜き戦)を
新聞社に提供していたわけです。
また、棋士の昇段なども派閥の領袖が決定権を持っていました。
それが、大団結した時期を始めとしているわけです。
大崎熊雄八段は棋士としての実績は欠けますが、
時事新報
東京日日(後に土居)
國民新聞
と契約しており
土居市太郎八段は
都新聞(後の東京新聞)
毎夕新聞
萬朝報 (もともとは関根の筈)
関根金次郎八段は
東京朝日
読売新聞
報知新聞
中外商業(日経)
他に
阪田三吉八段が
大阪朝日
です。
あと、確か
木見金治郎八段が
大阪日日(毎日)
です。
また、関根金次郎は家元の大橋門下に養子入りする話があったそうです。
最近その辺のいきさつが書いてある本がヤフオクに出品されていましたが
入札しそびれました
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